セントへレンズ山大噴火(1980.5.18)→大学は4日間休校!

米国ワシントン州のセント・ヘレンズ山(Mount St. Helens)が噴火

標高2,950mだったセントへレンズ山は、この噴火で、2,550mとなった。

この噴火では57人が亡くなった。今でも、セントへレンズ山は、米国で、ハワイ・キラウエア火山に次ぐくらいの危険な火山とされている。

 筆者が留学していたワシントン州立大学(WSU:Washington State University)は当時セメスター制を採用し、2月から5月の春学期(Spring Semester)が終わる時期であった。火山灰の影響で4日間休校となり、学期末に提出する課題レポートの締め切りが一部延長されて、個人的にはとても助かった。400㎞も離れていてのことである。

「9時間以上にわたってセント・ヘレンズ山は灰色の噴煙を立ち上らせ、その高さは海抜20kmから25kmの成層圏にまで達した。噴煙は95km/hほどの速度で東方へ移動」(Wikipedia)

 大学院の学生寮は個室(学部生は2人部屋)で、部屋に電話がある(携帯電話など無かった時代である)。ある大学院の友人は、夕方4時か5時頃か、電話してきて、「今日提出締切の課題があり、徹夜で仕上げた後ひと眠りして提出しようかと思って、今起きたところ外が真っ暗で、寝過ごしたのでしょうか。今は朝の4時(5時?)ですか、夕方の4時ですか?」と寝ぼけた声で尋ねられた。夕方だと答えたら、よかった、締め切りに間にあうと言っていたが、昼間に真っ暗になるこんな天変地異の方に驚かないのかと思った次第です。
 (当地は高緯度に位置し、さらに夏時間で、この時期の日没は8時半頃!)

 400㎞ほど離れたセントへレンズ山の火山灰が、お昼くらいからプルマンに届きはじめ、空が火山灰に徐々に覆われた。最初は白い雲のようであったが、段々暗くなり、まだ夕方の4時ころには真夜中のように真っ暗になっていたのである。


 そして、白い火山灰(遠距離まで成層圏を渡ってきたとても細かい火山灰は白っぽいものであった)が雪のように舞い降りるようになった。夕食のためには、大学院寮の外の少し離れたところにある食堂の建物に行くには火山灰が降り注ぐ中を歩く必要があるが、傘をさせば大丈夫なのだろうか? 

 窓から食堂の見える側の部屋にいる友人Sに電話してみたところ、「アメリカ人学生は帽子をかぶったり、上着を頭に被ったりして平気で食堂に歩いて行ってますよ」とのことであった。このような時には、国民性がよくわかる。 

 アメリカ人はさすがに楽天的であり、良い意味でお気楽である。大丈夫そうだから、僕らも傘さして食べに行きましょう、ということになった(日本人の気質は迎合的である。よく言えば協調性豊か)。
 食べることが大事なのは日米いや、世界共通であった。。


大噴火の前
大噴火の後

  画像の出典は、「くもりのち雨、ときど~き晴れ Seattle Life 2」by kunkunkoo2.exblog.jp


Washington State University
—WSU is a top research university dedicated to solving problems and improving lives

https://wsu.edu/

 留学当時のWSUには、経営経済学部助教授として鈴木典比古先生が在職し(1978-82)、お宅に招かれた。鈴木典比古先生は周知のように、その後、ICU学長などを経て、広島県公立大学法人理事長をされている。
 だいぶ時を経て、友人の結婚式の際には、ICUでお目にかかることができた。
常磐大学経営学科長・村中均先生のICUにおける指導教授である。数点の両者による共著論文がある。

 テレビでも分かり易くかつ的を射たアメリカ政治・国際政治を解説している、中林 美恵子早稲田大学教授も、WSU(ワシントン州立大学)で学び、政治学修士取得後に正規の国家公務員、米連邦議会上院予算委員会補佐官として10年勤務。

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